結婚式に行きました2

 悪寒と、腹痛の波に耐え、なんとか会場に到着し、私は涼しい顔で颯爽とバスを降りながら、心の中では肛門括約筋に「もう少し、もう少しだから、お願い」と祈りにも似たエールを送っていました。上着をクロークに預ける人々を横目に、もちろん化粧室へ直行です。中に入ると文字通り、化粧を直す綺麗な女性達。関係ありません。引け目など感じません。トイレは用を足すためにあるのです。私は半泣きで、個室に閉じこもり、腹痛と戦う間、ずっと音姫を延長し続けました。20秒おきくらいに、壁の装置に何度も手をかざし続け、メールでMが会場に着いたことを知り、先ほど鏡の前にいた女性たちは移動し、その後トイレに入ってきた人たちも、各々用を足して出て行き、それでもなお、私は苦しい表情で流水音を鳴らし続けていたのです。これから結婚式が始まるおめでたい空気に包まれながら、かれこれ10分以上せせらぎの音を堪能したのち、個室の扉を開けると目の前にMがいました。

「知ってる人全然いないんだけど…」

と居心地悪そうに、佇みながら、

「あ、今黒いって思ったでしょ、焼けてんなコイツって思ったでしょ!」

と何も言っていないのに、一方的に日焼けを気にしていました。私たちは化粧室を出て、式場が開くまで高級そうな椅子に座って待つことにしました。ちなみにMと会うのは3年ぶりくらいです。Mがワーキングホリデーに行ったり、式の数日前まで、東南アジアを一人旅したり、国内外を転々としていたため、久しぶりに会ったのですが、普段は温和なMの姪っ子が、ノートに猟奇的な言葉を書いていたことや、前歯に付いた口紅をMに指摘され、確かめるために取り出した鏡(ヨルダンの遺跡の写真がはめ込まれている)に関することや、中学生の時、Mが私に作ってきてくれたおにぎりの具がパインだったことなど、久しぶりとは思えないほど身にならない会話をしながら、同時に周りにいるちゃんとした大人達を見渡し、今この空間の中で自分たちが一番くだらない話をしてる自信ある、と思いました。そして、Mが私たち以外にも中学の同級生が数名いるのを見つけ、気まずさに震え上がりました。常に恋愛の話をしていたタイプの彼女たちとは、卒業後一度も連絡を取ることなく、10年以上の歳月が過ぎ、まさかここで会うとは…とあまりの不意打ちに、いかに気配を消すか、ということしか考えられなくなりました。

 式場が開き、参列者たちがぞろぞろと入っていきます。人の波に押され、同級生から逃げようとすればするほど近付いてしまいます。Mと顔を見合わせ、

「今、目合ったよね…」

「えっウソ…気まず…」

と小声でやりとりをしながら、左右に分かれた座席の左側に同級生らが流れていくのを確認し、私たちは右側に座りました。前列の座席の背に入っている、二つ折りのカードを開くと、賛美歌の歌詞と、外国人の牧師の写真と言葉が載っていたのですが、高級感のある、細かい凹凸が施された紙のため、牧師の顔がよく分からず、しんとした空間の中、分かんねえよとケタケタ笑ってしまいました。というのも、私は、Yの姿を見れば絶対に泣いてしまうと思っていたので、そうでもしていないと、とても落ち着けるような気分ではなかったのです。

 

 日本人の牧師が現れ、オルガンの音が鳴り、後ろの扉から新郎が入場しました。その時、初めてYの夫である男性をお目にかかったのですが、以前Yから婚約者(当時)は6歳年上と聞き、

「じゃあ干支でいうと向かいだね!」

と言うと、意味は理解できるけど、このタイミングでそれを言う必要はあるだろうか、と言わんばかりの腑に落ちない表情を向けられました。そんな干支でいうと向かいにあたる新郎が、前方の祭壇まで来ると、いよいよ新婦であるYが、お父様と入場しました。逆光から徐々に現れるドレス姿は、私が想像していた20倍くらい綺麗でした。そしてお父様の胸の内を想像すると、切ない気持ちがこみ上げてきて、涙が溢れそうになりました。しかし、式はまだ始まったばかりで、知らない人だらけの中(しかも気まずい同級生もいる中)、おいおいと泣くわけにはいきません。なんとかこらえて拍手に集中しました。そしてYは、お父様の元から離れ、新郎の左側に立ち、賛美歌斉唱に移りました。前方右側には歌のおねえさんたちがいて、美しい声で賛美歌を歌っています。お給料はいくらなのでしょうか。歌詞カードを目で追いながら、歌うフリをしていると、先ほど涙を我慢したせいで、鼻水がタラタラと流れてきました。すすって何とかなる量ではありません。どうしよう、どうしようと思っているうちに、二本の川は唇を通過し、あごへと向かいます。歌が終わり、頭を下げて祈る流れになってしまい、式場は静まり返っています。今すぐ誰にも気付かることなく、河川の氾濫を食い止めることは不可能と判断し、「文明はいつだって川と共に生まれるのよ」と自分を励ましました。右がチグリスで、左がユーフラテスでしょうか。それとも二本合わせてナイルのたまものでしょうか。お祈りが終わり、その瞬間、およそ0.2秒で、振り返りバッグを開けちり紙を取り出し拭きとる、という任務を成し遂げたのでした。ミッションインポッシブルのテーマ曲の最後の部分が脳内再生されました。

 その後、指輪の交換や、誓いのキスや、誓いの言葉などがあったのですが、とにかく牧師の話し方や、声量、動きなどにインパクトがありすぎて、もはや小慣れた舞台役者にしか見えません。先ほどまでドキュメンタリーだった結婚式が、モキュメンタリーに思えて、気持ちは一気に冷めてしまいました。教会での挙式は、女の子たちの憧れです。しかし、私にとっては違和感を抱かずにはいられないものでした。それとも私は、結婚式に夢を抱きすぎていたのでしょうか。リアリティを求めすぎていたのでしょうか。一応仏教徒である私は、かつて日常生活においてアーメンと口にしたことは一度もありません。しかし、結婚式では皆が西洋の神様の前で二人を祝福するのです。もちろんこれは私個人の感じ方の問題であって、二人を祝福する気持ちは大いにありますし、二人やご家族の幸せな瞬間に立ち会えてとても嬉しいです。そもそもこの式場を選んだのは新郎新婦なので、二人が満足ならそれで良いのです。ただ、世間一般の幸せの形に、いちいち疑問を抱き、素直にわあ素敵と感じれば良いものを、わざわざマイナスな側面ばかり見つけてしまう自分は、なんだか損しているなと感じたのです。私はなんて面倒な人間なのでしょうか。結婚おめでとう。

 

 

つづく

 

画像はZOZOTOWNで購入した、すぐにシワシワになる服と、実際にシワシワになった様子です。

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