引越しについて3

 衝撃事実を伝えられ、思わず店内で声を出して笑ってしまったのですが、結局それから他の部屋をいくつか紹介してもらい(ネットに掲載されている物件は、不動産情報のほんの一部で、お店で契約されなかった残った物件が大半を占めているそうです。)、北向きは避けたいだとか、都市ガスがいいだとか、色々条件を出して絞ったのですが、Sさんが

「ではこちらご契約でよろしいですか?」

と当然のようにグイグイ来るので、写真が一枚もないペラペラな間取りだけ見て、向こう数年住む部屋をこんな短時間で決められないと思い、

「内見したいんですけど。」

とお願いしたところ、一瞬顔が曇り、

「こちらの部屋でご契約されるのであれば、まあ、最終確認という形で行ってもらう感じになりますね。」

と言われました。私としては、住むかどうか決めたいから内見したいのに…という気持ちでいっぱいでした。

「他の方は、みなさん内見されないんですか?」

と尋ねると、

「されない方がほとんどですよ。」

とのことで、都心の部屋探しはそうなのかな?不便かよ?と思いました。

 結局、必要書類を全て記入した上で、内見に行き、そこが気に入った時点ですぐに契約できるようにしておくことで話がまとまり、部屋を見に行くことになったのですが、地図を渡され、

「到着したら電話ください。でも期待しないでくださいね。値段相応の部屋ですから。築30年ですから。」

と、突然のネガティブキャンペーンが始まりました。そしてどうやら、一人で行くシステム?思ってたのと違うけど?都心の部屋探しはそうなのかな?え?という気持ちのまま電車に乗って、現地に向かいました。マンションの入り口の前でSさんに電話をかけると、

「メーターボックスの中にあるキーボックスのナンバーを言うのでそれで開けて下さい。」

と言われ、私はキーボックスという物体の存在を知らなかったため、箱なんてどこにもない!と必死に探しました。どこにもありませんという電話を何度もかけ、若干Sさんのイライラが受話器越しに伝わってきます。結局、大きめの南京錠の中に鍵が入っていると理解するまでしばらく時間がかかりました。

 部屋に入ると、ヤニが混じったような古い臭いが充満していました。そして、茶色く変色した壁に、殴って開けたような穴、窓の上部の壁には、手の形のシミがふたつあります。ホラーでした。灯りがつかないので、ユニットバスは何も見えません。Sさんに電話をして、状況を伝えると、

「壁紙は交換するので、別の階のリフォーム済みのお部屋も見ますか。」

と言われ、いや、見ますよ、え?と思いながら別室も見ました。脳がだんだん稼働しなくなってきて、壁紙が変わるだけで印象も違うし、なんだか疲れたし、もうここでいいような気がしてきた…もう面倒臭い…と思い、契約を決めたのでした。

 

 それから怒涛の物捨て週間が始まりました。私は物を減らすのが好きなので、苦ではありませんでしたが、半分以下の狭さの部屋に移り住むとなると、ベッドすら置けません。収納も一つもないので、どこかに詰め込むことも出来ません。とにかく鬼のように捨てまくりました。町内の皆様が寝静まった頃、両手に大きなゴミ袋を携え、ウロウロと徘徊する日々が続きました。

 荷造りは、友達が2人来て、手伝ってくれたおかげですぐに終わりました。私が詰めた箱は、全部やり直されました。食器の包み方も注意されたので、不器用をいいことに、全部やってもらいました。楽でした。

 引越し当日、昼食後の歯磨きのタイミングで業者のお兄さんが来たので、慌ててしまい、唾液が口から勢い良くジャッと出ました。お兄さんは見て見ぬ振りをして迅速に物を運んでいきます。私は部屋の隅にキュッと収まり、華麗な運びっぷりを眺めることしかできませんでした。物を運んだ後に出てくるホコリもあるので、最後まで掃除をしていたら、クイックルワイパーを積みそびれたまま、荷物を載せたトラックは先に出発してしまいました。仕方なくクイックルワイパーを手に持ちながら電車に乗って、新居へと移動したのでした。

 新居には友達が3人来て、荷ほどきを手伝ってくれました。私がもたもたとコートハンガーを組み立てている間に、みんなはテキパキと荷物を整理するだけでなく、部屋のあらゆる箇所を計測し、ここの隙間には収納を買ったほうがいいとか、ここに箱を6個置いたらごちゃごちゃがスッキリするとか、細かくメモしてくれているのでした。私の部屋なのにみんなが全部やってくれて、頼りになるな、すごいなと思いました。

 友達のおかげで、荷造りも荷ほどきもすぐに終わり、無事引越しが出来ました。寝具も照明もインターネットもすぐに使用出来たので、電波少年せずに済みました。持つべきものは友達です。

 翌日、東京ガスの人が開栓に来たのですが、

「メーターボックスの中に、マフラー入ってますけど、前の人が置いていったのかな。」

と教えてくれました。確認すると、本当に車のマフラーがぐにゃっと縦に入っていて、マフラーを外すということはつまり太いマフラーに交換するということで、内見の時見た壁の穴はやはり殴って空けたものだとしたら…私の中の名探偵が推理した結果、前の住人はヤンキー、ということで落ち着きました。私の新居は元ヤンハウスでした。

 

 そういえば、引越しの前日に不動産屋に鍵を取りに行ったのですが、店内の壁に貼られている、《私が担当しました!》と書かれた、客と担当者のツーショット写真の撮影をお願いされ、Sさんと一緒に写真を撮ることになったのですが、ほとんど誰も見ないとはいえ、ちょっと嫌だな、と思いながらも断れず、つられて普段はしないピースサインまでしてしまいました。このモヤモヤをなんとか主張してみようと思い、

「じゃあ私のカメラでも撮ってください!記念に!」

と強めにお願いしてみました。今までそんなこと言う客はいなかったのか、Sさんも、カメラを持つ女性スタッフも、戸惑いの表情が見られます。そうです。私が見たかったのはその顔です。よく知らない客に、何に使うのか分からない写真をお願いされた時のその顔です。

 その時の写真がこちらです。

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